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−編集・発行 創形美術学校同窓会−

 

 

(VOL.12)

 

 

特集 「第3回創形美術学校同窓会員による展覧会」

 

  

 

年で3回目を迎えた同窓会展ですが、会報が年2回の発行になったことにより、記事をより充実させることにしました。今回は出品者の池田氏に簡単なインタビューをしてみました。
 (インタビュアー:田中北斗 副会長グラフィックデザイン科1期)

 

  

 

池田氏挨拶
池田昌紀(いけだ まさのり)

 

 

 

 

ではまずはじめに自己紹介をお願いします。
 
 こんにちは。池田晶紀です。このたびはこのような個展を開催出来たことに、学校関係者及びOBの方々に大変感謝しております。ほんとうにありがとうございます。さて、僕は創形美術学校ビジュアルデザイン科を2002年3月に卒業しました。なのでデザイン科9期卒ということになります。

今回の展覧会について開催するきっかけ、コンセプトなどお聞かせ下さい。
 
 きっかけは、同窓会委員の方々が主催でこの学校の卒業生を対象に展覧会開催にあたって、制作費などの助成を行っているというご案内が届いたので応募しましたそして、今回の展示までに、だいたい5月の半ばごろに出来ることが決まったので、約4ヶ月半ぐらいの制作時間がありました。個展が決まってから発表するまでの時間はとても少ない状況の中で、自分に何が出来るかどうかを考える為に、一度あったプランを崩し、立て直すところから始めました。

  僕は、スペースのキャパやターゲットに対して、展示プランを作り上げて行くタイプの作家なので、この学校を卒業した自分が、この場所で僕にしか出来ない今やるべきことをやりたいという思いがありました。そこで、学生の時から本格的に始め、現在も続けている写真で、学生中に出会い、お世話になっているクリエーターやアーティストのポートレイトを見せようと考えました。また、ポートレイトを追っかけている際に出会った、イタリアの子供達やイメージの中だけに存在しているものだと思っていた風景の写真なども一緒に出来るだけ大きくプリントをして展示しました。なので卒業後の2年間撮りためたものということになります。

  僕のポートレイトは演出家によるものではなく、どちらかというとドキュメンタリー写真家のほうのタイプだと思います。(即物的な写真というべきかもしれませんが)僕がたくさん撮った写真の中から一枚の写真を選ぶ基準は、まず被写体の持つ表情やポーズがおもしろいかどうか。そして、写真として味わい深いものであるかどうかによって決まります。もちろん偶然撮れちゃったいい写真も多いのですが、そんな中、被写体の多くに子供がよく登場します。彼らは、ありのままを見せてくれるおもしろい存在です。僕が最も注目している点は、自分という人間が人にどう見られているかどうか?という大人になれば誰もが経験するだろう羞恥心というものが、地域や国によっては育つタイミングは違うにせよ、無いというところに興味があります。そんな彼らはカメラを通じて僕と向き合った時に、僕の言ってもらいたい事を何のためらいもなく、語ってくれるような気がします。写真のもつ魅力と自分の体質にあったカメラとの出会いは、自分と人や事物の本質を見抜く為にとっても健康的な道具であると今は考えています。なので、これからも自分と向かい合った形で、コラボレーションして行きたいという強い願いが、今回の展示で一番確認したかったことです。


学生時代を少し振り返って頂けますか。
 
 入学した当初は、学校がまだ国立にあったので予備校時代から住み慣れている環境の中で、ふらっと自転車で通っていたという感じでした。国立校で一番印象深いことは、創形祭で大貫卓也さんと中島信也さんのトークショウをイベントとしてクラスのみなでお客さんをきちんと呼んで成功させたことです。自分にとって憧れていたクリエーターに、何も分かっていない状態の時期の学生のままの自分が、勢いだけで会うことが出来て、ましてやオフィシャルなイベントを開催することが出来たことに、今でも驚いています。しかし、そのことがその後の自分にとって大きなポイントになっているということも言えます。それは、ゼロから始めることに対する冷や汗感に少し味をしめていった事へと繋がるからです。

 池袋に移ってからは、当然環境が変わりました。僕は予備校時代の仲間と一緒に国立でスタジオ(ドラックアウトスタジオ)を立ち上げ、非営利のギャラリースペースの運営なども行っていたので自転車ではなく、電車で通学ということになってしまいました。でも、楽しかったことは、行き着けの喫茶店や飲み屋が増え、寄り道し放題で誘惑だらけの環境に投げ込まれたということです。クラスの誰もが化学反応を起こしていて、突然オシャレに目覚めたり(池袋バージョン)、黒くなってたり、白くなってたりで……。また学校に教えに来る先生方もおもしろい人ばかりだったので、僕もいろいろとわけも分からず1人で燃えていた気がします。そして、3年生の授業が少なくなっていったころからがピークで、異常に学校が好きになり毎日行っては、死ぬ程笑っては泣いての青春をきちんと過ごすことが出来ました。学生らしさという面では、ギリギリ間に合って良かったです。

                      
卒業してから今日までどのように活動されてきたかお聞かせ下さい。
 
 僕の場合は、知り合いが増えたということ以外は、基本的に学生の時とあまり状況は変わっていないのが現状です。2年生ぐらいの時までは、将来(卒業後)デザイン事務所のどこかにお世話になりつつ、空いた時間を利用し自分の制作を続けていこうという気持ちがあったので、アルバイトの面接にいったりしていました。が、3年生になるちょっと前あたりに、自分のところ(ドラックアウトスタジオ)で個展をやったことがきっかけで、フリーランスで仕事をして、作家活動をしていこうと決めました。なので今は、自分で取ってきたり、受注を受けたデザインのお仕事やカメラマンの仕事で生活しています。また、一番重点をおいて長く続けていることが、創形に入ったとほぼ同時期に、自分も含め何かやりたくて仕方が無かった仲間とクリエイティブの現場をつくり、フロントマンのいないところで、おもしろいことをどんどんオープンかつ実験的にやっていこうというグループでの活動が、今現在約5年間続いています。

 こうしたことから進路においては、どこかに自分を属すということが逆に不安であり、出会ってきた尊敬するアーティストやクリエーターの影響をもろに受けてきましたので、自分なりのネットワークを作っていければと考えています。しかし、東京に住んでいる以上1人でゼロから始めて行くことは、何もかも手探りで、まるで氷の上を歩いているかのような感じがします。一歩踏み出ると崩れて落ちてしまう感覚に似ていて、それでも目的地まで辿り着かなければならないといった厳しい環境にあるのかもしれませんが、外に出てみれば都会が中心にあって、逆に自分がハンターになったような気持ちで獲物を銃で落とせるぐらいの体力と実力がつくまで、今はひたすら氷の上でがんばるしかないなと思っています。


これからのアート・デザインに対してどのようにお考えですか。
 
 これは、難しい質問だと思います。しかしアートやデザインの世界でも、これまでにたくさんの伝説がありますが、僕らの世代は僕らの世代できっと今は今で何かが起こっているというのは、間違い無いはずです。個人的な意見としては、現在の30代から40代半ばぐらいの世代の美術関係者やクリエーター、アーティストの存在を良く見てきたので、その苦労の陰によって今があると感じています。だから、ドラックアウトスタジオを含め、個人の活動としても、責任を持って体力のある作品を作って行きたいです。


後輩、学生に向けて一言お願いします。

 どうやら男の子が元気のない世代だと言われているので、「ガッツを出して行きましょう!!」(松蔭先生節)あと、これは何にでも通用する話で、最近自分が感じていることですが、よく「意味わかんねーよー!」と思うことがありますが、意味がわかんないということを無理に問いつめる事よりも、「意味わかんなくたっていい」って思う事のほうが大事な気がします。何をやっているんだかを自分で分かっていたら、つまんなくなってしまいます。むしろ、どうしてこれを自分が選んだのかということが重要なんだと感じています。がんばろう!!ね。


 本日はお忙しい中ありがとうございました。今後のますますのご活躍を期待しております。

                                      

 (2003年10月) 

 

  

 

 

同窓会会長挨拶 個展会場風景
左から山田隆志VD科主任 渡辺勇会長 田中北斗副会長 会場風景

 

  

 

シリーズ「あの時の卒業生は今」は、今回は、お休みとさせて頂きました。
また、会報vol.12内の別の記事では、5期6期合同クラス会だよりの記事を載せていますので是非ご覧下さい。

 

  
   
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